イタリアは北と南の経済格差が大きい。全20州のうちの8州が北イタリアに属するが、その中のトリノを州都とするピエモンテ州、ミラノを州都とするロンバルディア州、ジェノヴァを州都とするリグリア州、ヴェネツィアを州都とするヴェネト州、ボローニャを州都とするエミリア・ロマーニャ州の5州と、その南に隣接してフィレンツェを州都とするトスカーナ州の6州で、イタリア全体の税収の半分を負担している。そのため、僕がイタリアに来た頃には南イタリアをアフリカに売り飛ばせばイタリアはもっと豊かになるといった発言がテレビで公然となされ、ローマの南のナポリを州都とするカンパーニャ州から南が北アフリカにくっついたイラストが映し出されたりしたものだった。もし日本でこうしたことがテレビで放映されたら抗議電話が殺到し、ディレクターが番組から降ろされるだけでは済まないだろうが、イタリアではまったく問題にならなかった。
イタリア語で「貧しい、みすぼらしい、哀れな、」という形容詞をpovero(ポーヴェロ)といい、これは修飾する名詞が男性名詞の場合で、女性名詞の場合はポーヴェラ、複数になるとポーヴェリ、ポーヴェレと変化し、コモの改築中の家の無い人たちのための慈善の建物にその言葉を使った市の掲示板がつけられていた。―ポーヴェリな男性10人のための部屋。ポーヴェレな女性10人のための部屋。ポーヴェリな人たちのための食堂―。日本でこんな掲示板を市がつけようものなら大変な騒ぎになるだろうが、ここイタリアのコモでは何の問題にもならなかった。
ポーヴェロ(ポーヴェラ)がごく日常的に使われているものとしては、クチーナ・ポーヴェラがあり、肉の入らない豆や野菜だけのクチーナ(料理)を指している。昔は貧しい人は肉など口にすることが出来ず、豆や野菜のごった煮が常食だったからだ。その他では、古い農家などで見かける飾りのまったくない一枚板のテーブルや戸棚などの家具をアルテ・ポーヴェラと言っている。貴族など金持ちが使っていた家具は、これでもかというほど彫刻などで飾り立てられていたからだ。今ではこうしたものは「貧しい」ではなく「庶民」と訳すほうがいいかもしれないが、昔は庶民イコール貧乏人で、ポーヴェロが名詞として使われる場合の意味は、貧乏人、こじき、物乞いである。
このように何を言っても問題にならないイタリアと比べると、日本には言葉のタブーがやたら多く、昔は使われていた言葉を封印して当たり障りのない別の言葉に言い換えたり、避けて通ったりといったことがしばしば以上に行われている。しかし、そうしたからといって、実体がなくなったわけではない。むしろ触れられないために実体は温存されて生き延びるのに都合がよい。
ずいぶん日本に帰っていないから、今の日本のテレビがどうなっているかは知らないが、僕が日本にいた頃にはトーク番組などの終了時に司会のキャスターが、出演者から不穏当な発言があったことをお詫びします、といった意味のアナウンスをしていたのをしばしば見かけた。しかし、出演者の了解をとった上でのお詫びならともかく、キャスターが勝手に詫びるのは出演者に対してずいぶん失礼な話である。出演者は百万といえども我れ謝らずかもしれないからだ。キャスターが勝手に謝るのは抗議が局に殺到するのを恐れてのことだろうが、抗議するほうも局にするのはお門違い、抗議は発言者にすべきである。そうしないと局は当たり障りのない毒にも薬にもならないことしか言わないつまらない人間しか出演させなくなる。人々は言論の自由と言いながら、不自由になることに加担しているのに気づいていない。言葉のタブーなど取り払って実体をむき出しにするほうが、結局は自由で住みよい社会になると思うのだが…。