色濃く残る階級意識。

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イタリアへ来た当初は、こちらの若い知人がアメリカ人のモデルとお忍びで会うために持っていたミラノのアパートに2ヶ月ほど住み、イタリアに少し慣れたところでコモの小さなホテルに移ってアパート探しを始めた。
初めはアパートを買うつもりでコモでは大手の不動産屋へ行ったが、朝と晩とで条件を変えてくるので怖くなって買うのをやめて、他の不動産屋で賃貸を探すことにした。これが正解で、あとから分かったことだが、日本人ということで足元を見られ、相場よりも5割も高い値段を吹っかけられていた。この不動産屋は前の市長のときにコモの新聞コリエレ・ディ・コモで理由が分からないと叩かれながら助役になっており、そのときの市長の答弁は、昔からの友人だから、というものだった。
悪徳不動産屋のお陰(?)でみすみす損をしないですんだのはいいが、今度は賃貸探しで悪戦苦闘を余儀なくされることになった。友人同士ならいいが夫婦は駄目だとか、さもなければやはり条件をどんどん変えて、こちらから断るように仕向けてくる。
銀行レベルでは日本を知っており、休みもとらずに長年働いてきたから、この美しいコモでのんびり第二の人生を楽しみたいと言うと、それはおめでとう、と、すぐに口座を開いてくれた。だが、一般レベルはそうはいかず、有色人種は出稼ぎに来るものという先入観から、仕事をしないで暮らすなどということは自分たち白人に出来ることで、有色人種に出来ることではないと思われていたようだった。
結局、小さなホテル暮らしが3ヶ月にも及んだが、仕事もしないでホテルに住んで、外で毎日食事をしているところをみると、出稼ぎに来たのではないらしいと、それが信用につながり、レストランなどで、ここへ電話をして部屋がないか聞いてみれば、と、教えてくれるようになった。幸いにしてアパートが借りられたのは、その小さなホテルのオーナーが住んでいたアパートの1階下の部屋が空くがどうか、と教えてくれて、そのオーナーが保証人のような形をとってくれたからだった。

Volta e Posta

電池を発明したコモ輩出のアレッサンドロ・ヴォルタの像。電圧を示すヴォルトは彼の名にちなんでいる。後ろの左端の黄色い壁の建物がアパート探しのために3ヶ月逗留したホテル。

pila voltiana

アレッサンドロ・ヴォルタが発明した電池。


そのアパートに住み始めてしばらくして、オーナーはホテルを居ぬきで売って引退をした。ところが新しいオーナーは年も若く不慣れだったために、部屋の掃除係り(カメリエーラ)や食堂の給仕(カメリエーレ)が元のオーナーのところに愚痴をこぼしにやってくる。元のオーナーは話を聞いてやり、パスタの一皿ぐらいを食べさせて帰す。彼らと我々はもちろん顔馴染みである。ところが元オーナーは我々にこう言った。
「彼らと道で立ち話をするのはいい。でも、部屋に入れてはいけない。自分が彼らを部屋に入れても世間はもとの主従関係を知っているからいいが、あなた方が彼らを部屋に入れると、世間は友達関係として見る。これはあなた方が彼らの階級(クラッセ・カメリエーラ)になることだからだ。」
こうした話はミラノでもあった。知人から借りていたアパートを週に一度掃除に来るオバサンが食で有名なナポリの出身だというので、家内がイタリアの家庭料理を習いたいとその知人に言ったら、彼は、習うのはいいが友達になってはいけない、と言った。
コモには小学校の放課後の教室を使った無料のイタリア語教室があることは前に書いたが、我われ夫婦以外の生徒は数人のトルコ人とフィリピン人だった。彼らはクラスメートでもあるから、道で会えば立ち話ぐらいはする。だが、ここからが難しい。出会った場所がバールの前で、コーヒーでも、どう?と誘われても、我ながら自分を厭な奴だと思っても、一緒に飲むわけにはいかない。