佐藤 晴男
日本には世界中のものが何でも揃っていて、安全で、すべてが整然としているのに、どうしてイタリアなんかに住んでるの、と、日本を知っているイタリア人から聞かれたことがある。
イタリアにはイタリアのものしかないし、スリや泥棒が多いし、何事によらずアバウトだし、一方では、暖房を入れてもよい期間までもが法律で決められているし、日本よりもはるかに不便である。
10分と言われたら30分、2・3日と言われたら1週間、1週間と言われたら1ヶ月が当たり前のこの国を相手に商売をすると、きりきり舞いをさせられるだろうとも思う。
だが、毎日の最低の食べ物にさえ事欠き、飢え死にする人もいた70年ほどの昔に育ち、その記憶をいまも引きずっている僕は、すべてが揃った、というよりもむしろ過剰な日本の現状は何かの間違いという気がしてならず、不便さとか、いささかの我慢が必要な状態のほうが安心していられる。もはや隠居の身としては、きりきり舞いとは縁が無く、アバウトなところが逆に居心地がいい。そして、なによりもこの国の人には、ほろっとさせられる心の優しさがある。
このあたりの理由のために、当初は10年のつもりが、ずるずると20年以上にもなってしまった。そろそろ先のことを真剣に考えなければいけないとは思いつつ、なかなか踏ん切りがつかない。悪女の深情けにはまったようなものである。