イタリアでは、何が起こるか分からない。

こちらへ来る日本の友人や知人に、イタリアは何が起こるか分からない国だから、そのつもりで、といつも言っている。だが、何が起こるかの「何」の多くが日本人の想像をはるかに超えているため、実際にはこの言葉はあまり役にたたない。しかもいったん何かが起こると、大概は次に打つ手がなく、諦めるしかない。

―酪農業者が輸入ミルクによる価格の下落に抗議して、ミラノのリナーテ空港への道路を2週間ほどもトラックターで封鎖して、ミルク戦争といわれたことがあった。こうした場合でも、警察は、彼らには生きる権利があると、排除しない。そのために、人々はスーツケースをガラガラ引っ張って2キロの道のりを歩く羽目になってしまった。しかし、そこはよくしたもので、1個いくらの運び屋が現れた。もちろんネロ(非合法の俗語)だが、旅行者の苦労を考えて、警察は見て見ぬふりだった。
―理由は分からないが、タバコ輸送業組合が長期間のストライキを打ち、イタリアじゅうのタバコ屋からタバコが姿を消したことがある。ミラノあたりの人はスイス国境まで50キロほどだからスイスまでタバコを買いに行ったが、ローマになるとそうはいかず、当時250円(現在は600~700円)ほどのタバコの闇値が2000円になり、タバコ辻強盗まで出現した。こうしたことに対するタバコ屋の反応は、Qui è Italia…(クイ・エ・イタリア:ここはイタリアだから…)。イタリアのタにアクセントを置いて、投げやりな調子で言う。もっともこれには別のイントネーションがあって、クイを強く言うと、ここはイタリアだから外国流は通用しないという意味になる。
―ニースからコモへ列車で帰る道順は、ニース→ヴェンティミリア(国境駅・乗り換え)→ジェノヴァ→ミラノ(乗り換え)→コモになるが、ジェノヴァの手前で車掌が横を通るたびにしきりに何か言いたげだったので、こちらから声をかけてみた。言葉が分からないだろうと思って、むこうから言ってこなかったのだが、ミラノのひとつジェノヴァ寄りのパヴィアの駅長と幹部職員がプライヴェート・ストをやっているために、この列車はジェノヴァ止まりになる、ということだった。で、ジェノヴァで全員降ろされたものの、その先どうなるか駅員に聞いても分からない。ジェノヴァ泊まりになるかと覚悟を決めたが、イタリアは不思議な国で、こうしたときに誰かしらがどこからか情報を仕入れて皆に教えてまわり、2時間ほど後に臨時列車が出るという。この情報はまさに正しかった。嬉しかったのは、これを聞いた20歳ぐらいの女性が、困っていた小学生のグループがいたから教えてあげなきゃと、駆け出していったことだった。
―ニースへ行くためにコモから乗った列車で、ミラノ駅がストライキをやっているのでこの列車はミラノ駅へは行かずに(寄らずに)素通りする、ひとつ手前の駅で臨時停車をするから、そこで降りてバスに乗ってミラノ駅へ行ってほしいという車内放送があった。バスは通常の市営バス。さすがに無料乗車券はくれたが、停留所まで荷物を引っ張って100m以上歩かされた。ミラノとコモは同じ国鉄会社でも管轄が違うから、こうしたことはコモの駅では分からない。
―友人たちを案内して旅行をしたとき、切符には1号車の座席何番とあったが、その車両が連結されておらず、2号車から始まっていた。車掌に聞くと、こともなげに2号車に乗って空いている席に座ってくれ、問題ない:ネッスン・プロブレマという返事。この「ネッスン・プロブレマ」はプロブレマすなわち問題があったときのイタリア人の常用語である。
こんなこと、日本で想像できますか?